本日も昨日に引き続き、参議院で首相出席の閉会中審査が行われていますね。
そこで今日の議論で争点となった話題の概要についてまとめ、そしてそれについての考察を述べていきたいと思います。
新しく認められた文書
まず本日の国会、昨日の衆議院で取り上げられ、その後本日もメディアでも取り上げられて、民進党の大西議員や、玉木議員が「加計ありき」の証拠だと主張している文書についてです。
こちらの加計学園への伝達事項という文書ですね。
こちらは加計学園に対する課題点についての文書であって、手取り足取り加計学園に懇切丁寧に教えた「加計ありき」を示す文書だと批判されているわけです。
この文書は当初存在がその存否も含めて明らかにされていませんでしたが、昨日この文書が文科省に存在する文書であることを松野文科大臣が明らかにしました。
さらにはこういった指導が京産大には行われていないことも批判されている理由の一つです。
しかしながら、この文に関しては、加計学園から文科省に対して説明を求める連絡が来たから行ったことであって、京都産業大学からはそういった連絡がなかったということが明らかになっています。
さらに京都産業大学から同様の連絡が来た場合には加計学園と同様に足らざる点に対して指導を行う旨を大臣・審議官が本日お答えになっていました。
つまり、「加計ありき」だからこういった文書が加計学園にだけ作られたのではなく、そもそも京産大から連絡がなかっただけであるということは明らかになっているわけです。
ということでこちらに対する批判はツボを外しているという印象を受けます。
安倍総理が知った時期
そして昨日の衆議院から新たに出てきて、今やこれで持ちきりの争点が、安倍総理が加計学園が獣医学部新設を志していることを知った時期についてであります。
安倍総理は昨日の衆議院で、知ったのは1月20日の認可の際に報告を受けるまでは知らなかったと答弁されたわけです。
このことと、過去の国会での答弁との整合性が問われる状況となっています。
これに関して安倍総理は
「過去の答弁は急な質問ということで、整理が不十分であった。」
と答弁され、過去の答弁を訂正される姿勢を示しました。
これを受けて野党からは、国会の答弁をなんだと思っているのかと批判をされているわけです。
本当に知らなかったのか?あげられる二つの疑問点
安倍総理は加計理事長となんども会食をし、ゴルフをされているわけで、それで知らなかったことはありうるのかという疑問。
そして、国家戦略特区の議長として、今治と実質的に申請をしている加計学園の計画について知らなかったことがありうるのかという疑問。
これらの2つの疑問から1月20日まで知らなかったということは、本当にありうるのか?というのが国民の一般的な感覚からすれば通常だと思います。
なんども会食・ゴルフで会っているのに、、
これについて安倍総理は、加計理事長とは学生時代からの純粋な友人関係であって、具体的な計画に関する話は今まで一切したことはなかった。
だからこそ、ここまで長い間友達でいられたのだ。
と答弁されています。
これに関しては、ある政治家からも聞いたことがあるのですが、友人がなんらかの利害に関わる話を持ち出してきた時点で、その相手とは純粋な友達でいられなくなる。だから友達とはそういった話はしないように意識しているということが政治家にはあるようです。
このことからも、30、40年来の友人関係である安倍総理と加計理事長の間にそういった具体的な話がなかったとしても納得はできないことはありません。
国家戦略特区の議長として
そして次の国家戦略特区の議長として加計学園ということについて知り得ることはなかったのかという点に関しては、
議長として当然知り得る立場にはいたわけであるわけであるが、山ほどある特区の中の一つであり、全てを網羅することはできない上、会議でも事業実施主体に関する話は出てきていないため知らなかった
旨答弁されました。
これに関しても、確かに事業実施主体は山の数ほどあるわけでありますし、知らなかったという答弁に特別の不思議さを感じることはありません。
疑問は残るものの水掛け論
総じて、この問題に関しては総理が知っていたかどうかというまさに水掛け論に発展するしかない議論であると思います。
総理の内心の問題となってしまいますからね。
加計理事長を呼べという声もあるようですが、呼んだところで野党が望むような答弁は考えにくいように思います。
とはいえ通常の感覚では本当なのか?と思うことも当然であるでしょうし、一抹の疑問点を国民に与えてしまったことも事実でしょう。
追記
id:coper 疑問を交えずに政府側の主張を受け入れる立場の見本。
こう言うご意見をいただいたので一言。
私は政府側の主張を受け入れているわけではなく、確かに一抹の疑問点を国民に与えたことは事実であると述べております。
一方総理の主張が絶対におかしいと論じるのも間違っているであろうから、総理の主張も取り上げて、一定の説得力はあるかもしれないと述べているわけです。
もちろん、感じ方は人によるでしょうし、私は両論を聞いて総理の主張が正しいなどとは、申しておりません。
いずれにせよ、総理が知った時期を論じるというのは、論点が流転し水掛け論になっていくのは明らかで、この疑惑においても、もっと建設的な議論をするポイントがあるのではないかということを指摘しているわけです。
流転し続ける論点
そもそも今回の加計学園問題の論点は、ひとえに加計学園の選定過程に「総理の意向」が働いたのか、すなわち、総理の指示によってなんらかの不当な動きがあったかということです。
このことに関しては、昨日の衆議院の論議で、登場する人物が全員、前川前事務次官でさえも、総理からの指示は受けたことがなく、「加計学園」という名前が出たこともなく、なんとかしろという指示が出ていたということもなかったということが明らかになっているわけです。
いまやメディアのコメンテーターまでも、「総理が加計学園にしろという指示を出したとは思ってませんよね」と言い出す始末です。
このように、総理が加計学園のためになんらかの動き指示を出したという疑惑は非常に薄れいっているものとなっています。
さらには、昨日の前川氏の答弁で、「加計ありき」だったのは前川氏の心の中の話であって、前川氏が語るエピソードはあくまでも外に出ておらず影響力を発揮しないものであったことも明らかになっているわけです。
そこで野党としてもまずいということで、総理云々関係なく加計学園の選定過程になんらかの問題があったかどうかという問題になってきている気がします。
しかしこうなっては、役所間の折衝に関する問題となってしまい、安倍内閣がどうとかいうも問題に繋げるのは非常に疑問です。
そこで今度に持ち出されてきた論点が、総理が加計学園の計画をいつ知っていたのかというところにまでなってきています。
確かに総理の答えに、ん?と思うところがあるところも事実です。
しかしながら、国会で総理がいつ知っていたかという総理の内心に関する水掛け論を繰り広げることにどれだけの意味があるのでしょうか。
この水掛け論が不毛な時間浪費であることはまちがいないでしょう。
最初の総理が行政を歪めたのではないかという論点が、どんどんどんどんずれていって論点が広がっていっていることは明らかでしょう。
加戸前知事もおっしゃっておられましたが、国会では国政の大きなところ議論してほしいものです。
今回の問題であれば、獣医学部の新設はそもそも必要であるのか、文科省の告示による規制はこのままでいいのだろうか、文書管理のあり方はこのままでいいのだろうか、などなどこの問題をめぐっても、国政で論じるべき大きな規模の問題がいくつか見えてくることでしょう。
言った言わない、知ってたしらない、などという不毛な水掛け論に終始するのではなく、国政を司る以上大きな議論を行っていただきたいところです。
終わりに
ということで、閉会中審査の論点、その論点が流転していることについて見てきました。
もちろんこの問題に対する国民の疑念が晴れない状況なのですから、国会で取り上げることは仕方がないことでしょう。
しかし最も大事な総理の不当な働きかけがあったかどうかという論点が、どんどん広がってしまうことは不毛な議論になってしまいつつあるのではないでしょうか。
問題にするためになんとか論点を広げようとするのは、国会の議論として如何なものかと思わざるをえないこともまた事実です。
日本には、豪雨による災害、経済、緊張感をます国際情勢、通商政策などなど問題が山積みとなっているわけです。
一刻も早く、国会が通常化され、国の問題について政策を戦わせる健全な姿が取り戻されることを願ってやみません。