桜咲き誇れ

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解散に大義は必要なのか。党利党略の批判は理想論。衆院選挙で民意を問うことこそが大義!

昨日の記事でも触れたとおり、永田町では解散風が急に吹き始め、28日に始まる臨時国会の冒頭で解散するというのが、ほぼ既定路線となりつつあります。

 

そして、解散という話が出始めてから、野党やメディアから頻繁に聞こえてくるのが、大義がないと批判する声です。

つまり、選挙をやる上で、これを問うといった、目玉となるテーマがないということを示唆したいのでしょう。

 

そこで今回は、大義とは何か、衆院解散に大義は必要なのかといったポイントについて見ていきたいと思います。

(注意:大義が必要か等について論じるもので、今回の解散のタイミングを肯定する記事ではありません。)

 

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7条解散

まず大義が必要なのかどうかということを、制度面から見ておきましょう。

当然と思われるかもしれませんが、一応。

 

今回解散が行われるとすれば、それはいわゆる7条解散と呼ばれるものになります。

 

憲法7条は「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。」として、天皇が内閣の助言と承認に基づいて行う、国事行為を定めた条文です。

この3号に「衆議院を解散すること。」と規定されており、これによって、内閣の助言と承認、すなわち内閣の決定、すなわち総理大臣の決定によって、解散を行うことができるという解釈に基づいてものです。

 

ここで、必要となるのは、内閣の助言と承認ということになります。

(解釈については、様々なご意見があろうかと思いますが、この解釈が通説であり、政府の実務運営上確立されたものです。)

 

ですから、条文上、大義がなければ、解散ができないということはありません。

 

大義ある選挙とは

上の制度上の問題は改めて捉えただけで、制度上問題ないから問題ないなどというつもりはありません。

大義がないと批判される人たちの言う、「選挙の大義」の意味を簡単に言えば、この選挙は〇〇を問う選挙だ!とはっきりしていることでしょう。

 

つまりは、今回のように党利党略とも見える解散は大義がなく、郵政解散のように、今やる必要があると思われる選挙こそ大義があるということなのでしょう。

 

大義ある選挙がいいのか

ただし、私は郵政解散のような、ワンイシューで賛成か反対かを問うような選挙には疑問を呈さざるを得ません

 

衆議院選挙というのは、憲法改正の国民投票とは違い、自分の代わりとなって政治に関する決定や監視などを行ってもらう存在を決めるものです。

そういった状況において、郵政民営化に賛成か反対かといった選挙になれば、次の任期で重要になるであろう、他の諸課題についてはおいてけぼりになってしまうことは否めません。

何より投票行動に、郵政民営化に賛成か反対かといった以外が入り込むことは非常に難しいでしょう。

まさにポピュリズム政治(衆愚政治)に近づく選挙ではないでしょうか。

 

総合的に考えるべき衆議院選挙で、大義ある選挙をと訴える方達の言う、大義ある選挙つまり一つの大きな問題のみを争点にした選挙はあまりに乱暴で、本当に意義あるものかは疑問です。

 

民意を問うことこそ大義

そもそもとして、衆議院選挙それこそが、大義を多分に含んだものです

 

現在の政府の姿勢はどうなのか、このままこの政府を続けさせていいのか、他の政党に任せるのか、などなど現在の政治に対する、有権者の民意を示すことができることこそが大義に他なりません

特に今の状況であれば、北朝鮮情勢が緊迫する中で現在の政府に任せてもいいのか、加計・森友といった疑惑がある中、現在の政府を続けさせていいのか、今後の経済の方針を現在の政府に任せていいのか、第三次安倍内閣の評価、などなど様々な争点があるでしょう。

 

こういった争点に関して、国民に問うというだけでも大いに意義のあるものではないでしょうか。

安倍総理に反対する方にとっても、安倍総理を引き摺り下ろせる唯一のチャンスが衆議院選挙に他なりません。

 

何より、衆議院解散を求めていた野党の皆さんであれば、もちろんその意義というのはわかっていると思いますし、解散を求めておきながら、いざ解散するとなれば大義がないと批判するのでは、まさに批判のための批判でしかありません

  

解散は勝てる時にが当たり前

そして、解散が党利党略に基づくものだ、疑惑隠しだ、といった声もありますが、そもそも解散が党利党略のために行われるというのは今に始まった話ではありません

 

7条による解散という概念が確立されている以上、与党にとって最適のタイミングで行われないことの方がおかしいでしょう。

表向きの大義というのは、後付けの理由というのがほとんどでしょう。

党利党略の批判は、よく言えば理想論、悪く言えばお花畑と断ずるしかありません。

 

同じく野党の維新・松井代表が言うように、有利な時に解散するのが選挙、野党がごちゃごちゃ言っても負け犬の遠吠え、受けて立つ、ぐらいのどっしりとした発言が出てこないのは残念でなりません。

 

そして、野党が常在戦場と常に言っているのも、総理の都合によって、すなわち与党にとってもっとも都合のいいタイミングで行われるからに他なりません。

それが口だけなのかどうかは知りませんが。

 

いずれにせよ、現行制度上で、解散権の私有化などという、批判は意味がありません

  

野党は歓迎すべき

そして、野党からは解散を批判する発言ばかり目立ちますが、本来であれば、解散は歓迎すべきでしょう。

野党にとっては、議席を増やすチャンス、政権を奪還するチャンスに他なりません。

 

にもかかわらず、こういった発言ばかりが目立ち、我々はこういったことを訴えるということが聞こえてこない現状は、残念でもあります

民進党の現状を考えれば、致し方ないのかもしれませんが。

 

いずれにせよ、解散が行われるのであれば、与党の票を削ることに注力するのではなく、ぜひ自分たちが何をしたいのかを訴え、党首討論会などを通じて、政策を戦わせ、政策によって投票ができる選挙にしていただきたく思います。

 

最後に

ということで、選挙の大義は必要なのかということを見てきました。

 

上述のように、現行制度上は大義は必要ありませんし、大義がないというのは、建前として野党が批判のための批判に使っているまでです。

しかしながら、当然投票の時にその批判が効いてくる可能性もあります

 

そういった意味で、安倍総理大臣が、解散時の記者会見でどのような争点、意義を訴えるのかには注目が集まります。

 

ただし、解散権を現行制度のように、自由に振るえる状況がいいのかという問題はまた別の話です。

ドイツやイギリスなどでは、解散権は制約されていますし、日本がこのままでいいのかといった議論は当然あってしかるべきでしょう。

ただし、解散権の制約をめぐっては、参議院との差別化、民意から離れる、などの様々な問題点もあり、長くなりますから、また別の機会に触れたいと思います。

 

 

 

安倍総理が解散する理由についてはこちらの記事をどうぞ

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安倍総理が解散表明会見で語った解散の理由についてはこちら

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