6月7日、大坂正明と見られる男を大坂容疑者本人と特定し、再逮捕されました。
事件から46年越しでの逮捕ということです。
この指名手配写真は見たことがある人もいるのではないでしょうか。
そこで改めて、大坂正明容疑者が起こした事件、そして事件を起こした中核派とはなんぞや、そしてその恐ろしさについて見ていきたいと思います。
渋谷暴動事件
1971年11月10日に沖縄県で打たれた沖縄返還協定批准阻止のゼネラル・ストライキに呼応して渋谷・四谷などで行なわれた「沖縄返還協定批准阻止闘争」で、革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)の学生ら約400人が1971年11月14日、渋谷で警戒中の機動隊や渋谷駅前派出所を火炎瓶等で襲撃。中核派の学生らが、規制しようとした関東管区機動隊新潟中央小隊(新潟中央警察署)に所属する巡査を鉄パイプで殴打して失神状態になったところにガソリンを掛けた上で、暴動の実質的リーダーだった大坂正明が火炎瓶を投擲。巡査は全身火傷を負って、翌15日21時25分に死亡した。他3人が重傷を負った。
つまり、沖縄返還阻止の闘争の一環として、中核派が渋谷で機動隊や派出所を襲撃したわけです。
そこで鉄パイプで殴打して、失神状態だった巡査にガソリンをかけて、大坂容疑者が火炎瓶を投擲して、火傷で死亡した事件です。
失神して動けない巡査に、ガソリンをかけてなおかつ火炎瓶を投擲するというのは、想像を絶する残虐な犯罪であります。
このうち、大坂容疑者以外の6人は逮捕されましたが、大坂容疑者は逃走を続けていました。
時効
パッと見たときに、46年も経って時効が成立してないのはなぜなんだと思いますよね。
これは、共犯者の奥深山が精神疾患のために公判中止になっているからです。
共犯者が控訴中は公訴時効は停止されるわけです。
その後2010年に殺人罪の公訴時効は撤廃されて、時効は成立しない状態になっていました。
中核派の恐ろしさ
中核派とは、いわゆる極左暴力集団と言われる集団で、暴力によって共産革命を行い、国を変えようとする組織です。
70年安保や、沖縄返還協定闘争で「機動隊殲滅」を掲げ、警察の殺傷を目的としたスローガンを掲げるなど、非常に過激な活動を行ってきました。
その後「内ゲバ」と呼ばれる、極左集団の内部抗争を通じて、死傷者を出す、まさに血で血を洗う争いを繰り広げました。
内ゲバを扇動する中核派のこんな演説があります。
「いまは奇異に感じられても、ふるえばふるうほど何でもなくなる。バールで相手の頭をかちわり、穴をあけ、殺せるようにならなければならない。そうでなければ、英雄的でない! 頭をかちわることに、いまだ抵抗を感じる人がいるが、そういう人は対カクマル戦争の重要性を感じていない!」
一般的な感覚からすれば恐怖しか感じません。
しかしながら、80年代以降は、内ゲバや警察の取り締まりや高齢化で、衰退の一途をたどっています。
今なお存在する中核派
なんとなく、今は暴力で革命しようなんていう集団なんていないでしょう、と思っているかもしれません。
しかし、今現在も存在し続けて暴力で革命を行おうと活動しているのです。
これは何十年も前ではなく2015年に起きた京都大学バリーケード封鎖の事件での、報道番組の一部です。
いまなお、暴力で革命を起こそうと狙っているわけです。
まとめ
ということで、大坂容疑者が何をしたか、そして大坂容疑者の所属している中核派について見てきました。
中核派は衰退しているとはいえ、過去のものではなく、今もなお暴力を肯定する活動をしているのです。
暴力を容認する活動は、当然是認できません。
46年越しで逮捕した、警察の皆様方の尽力に敬意を評するとともに、渋谷暴動事件で亡くなった巡査の方のご冥福をお祈りします。