桜咲き誇れ

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玉木議員のPAC3を巡る質問に対する批判の声。議論の内容ではなく人に対する攻撃。重要なのは誰が言うかではなく何を言うか。【閉会中審査】

北朝鮮がハワイ周辺へのミサイル発射の際に、日本の島根県、広島県、高知県の上空を通過すると、名指しで指定したことを受けて、防衛省は3県にPAC3を配備することを検討する考えを示しました。

www.sankei.com

 

万が一を考え、直接示された3県の防衛に万全をつくす構えの表れでしょう。

 

そして、この前に北朝鮮の発言を受けて四国・中国地方にPAC3がなくミサイル防衛の空白地域であることを、先の閉会中審査で玉木議員が指摘されました。

これを受けて、玉木議員のツイッターには批判の声が殺到しています。

特に安倍政権を支持しているであろう保守・右の方から。

 

そこで、今回この玉木議員を批判する声に対して、安倍政権を支持する立場としてあえて、これらの玉木議員に対する批判の声への「批判」について考えていきたいと思います。

 

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野党の質疑は日報ばかり

このような緊迫した状況の中で開かれた閉会中審査で野党はほとんどの時間を日報問題に費やしました

もちろん日報問題が契機となって開かれて委員会ですからそれに関する質問はあろうかと思いますが、同じような質問を繰り返し無駄に時間を浪費して、北朝鮮問題について現実的にほとんど論じられない状況は辟易としました。

 

もちろん野党議員の中にも、安全保障に関する質問をされる方もいましたがごく少数でした。

 

日報問題は確かに重要な側面もあるでしょう。

しかしながら、特別防衛監察の詳細な中身については答えられないと答弁しているのにもかかわらず、答えろと不毛なやり取りを何時間も続けているのを見れば、一国民として辟易とした気持ちになるのは当然でしょう。

 

野党に置かれても、日報問題を追及するのであれば、堂々巡りの質問でなく的確に追及し、緊迫する安全保障環境に関して議論していただきたいと、心から思います。

 

玉木雄一郎議員への批判

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そんななか、先の閉会中審査において、玉木議員が上述のPAC3が四国にはないということを示し、空白地域への配備を検討すべきではないかということを小野寺防衛大臣に質問しました。

私は個人的にやっと安全保障の現実的な迎撃に関する議論が出てきたと感心し、喜んでもいました

そのあとは日報問題に移ってしまいましたが。

 

そして、そんな質問のその後のツイートに批判のリプライが殺到しています。

 

このツイートに対して、200件を超える批判的なリプライが殺到しており、その内容は

「民主党政権時代に防衛費を削減したからだろ、お前が言うな」

「今までほったらかしのくせに今更遅いんだよ」

「空白地域に獣医学部は反対でも、PAC3は求めるんだな。」

「PAC3の製造企業から献金を貰ってるんじゃないのか。」

 

などなど、民主党政権時代の話や加計学園問題に絡めた批判の声が殺到していました。

そしてそのほとんどが安倍政権支持であろうと思われる、右・保守の方からのものでした。

 

批判の声を批判

私は同じく安倍政権支持の立場から、こういった声に対して辟易とする気持ちがいたしました。

 

というのも、普段民進党に対して、北朝鮮問題に対する現実的な話を全くせずに、加計・森友と批判しておきながら、現実的な話をすればこういった批判。

まさに、批判したいだけとしか思えません。

 

そして、玉木議員が民主党時代のことを顧みずに自民党を批判する内容ならいざ知らず、今回の質問内容の趣旨は、空白地域であることを示し対応すべきだという、提案のような内容でした。

 

これに対しても、加計学園問題や、民主党の過去の所業を絡めて批判するというのは全く理解が不能です。

国会でこのように安全保障の議論が、現実的な迎撃に関する議論が少しでも出てきたというのは歓迎こそしても、批判する理由がわかりません。

 

私も玉木議員の献金問題や、過去の民主党の防衛の問題に関しては思うところはありますが、それと今回の玉木議員の発言の内容とをごっちゃにするのは筋悪でしょう。

 

そして、今まで北朝鮮問題をほったらかしてきたのにという声もわからなくはないですが、過去にほったらかしていたら緊張が高まってきて取り上げてはいけないというのは全く合理的ではありません。

 

おそばせながらも野党からこういった建設的な議論が出てくるのは非常に喜ばしいことではないでしょうか。

 

批判している人たちは、まさに批判のための批判をしているようにしか見えません。

仮に、四国が空白地域であることを青山議員などが指摘していれば全く反応は違ったでしょう。(一応言っときますが青山議員を批判しているつもりは全くありません。むしろ応援しています。)

まさに、何をいうか、何を議論するかではなく、誰が言うかで批判するか決定する。

これでは、安倍政権下での憲法改悪に反対という野党と同じではないですか。

 

議論ではなく人に対する攻撃

そして、このようなことが非常に多いとネットを見ていると感じます。

これでは議論が成り立ちません。

 

何を言うかではなく、誰が言うかで判断されている人が多いように感じます。

例えば自分とは主張の異なる人物が、もっともらしい発言をしていればそれに関してはそれはそれとして評価する土壌が議論する上では重要でしょう。

しかしながら、いくらもっともなことを言っても、

「こいつは過去に〇〇だから」

「でもこいつはこの政策で〇〇だから」

などといった人物に対する話にすれ変わるのを非常に多く目にします。

これでは建設的な議論など成り立ちようがありません。

 

今回の玉木議員の話もそうでしょう。

 

終わりに

ということで、北朝鮮を巡る緊迫した情勢、玉木議員に対する批判のコメントに対する見解を述べました。

 

その発言をしているのが、玉木議員であれ、民進党であれ、共産党であれ、朝日新聞であれ、誰が言っているからといってその内容を拒絶するのではなく、その内容を勘案した上で自分の意見として批判するなら批判するということが議論を行っていく上では非常に重要でしょう。

 

このような意見を述べると保守からも綺麗事を言うなと言って批判されるかもしれませんが、議論をする上で、玉木議員の発言内容ではなく、玉木議員が言っているからといって批判する状況は非常に不幸なことだと思ったので見解を示してみました。

 

これらに関して、皆様の意見もどうぞお聞かせ下さいませ。

ブックマーク、コメント、twitterなどでお待ちしております。

*1:文春新書